2020年8月27日木曜日

ぶつけどころのない愛情

「ぶつけどころのない怒り」と似たようなもので「ぶつけどころのない愛情」てのもあるんだな、と思う。

 持て余すこの感情を、そっと流す場所、それがここなのかも。

 誰も見ていないことを祈る。

 だったら、自分のノートか日記帳にでも綴ればいい話なんだけど、それじゃ「ぶつけどころのない愛情」がいつまでたってもとどまって、出ていかない。
 自分の中でぐるぐる渦巻いていて、私を苦しめる。

 だからきっと、ここに書き出すことで昇華させている・・・つもり。

 あなたが幸せでありますように。
 あなたがいい人とめぐり逢いますように。
 あなたが悪い夢を見ませんように。
 あなたが健やかでありますように。
 あなたのモチベーションが上がりますように。
 あなたの夢が叶いますように。
 あなたが孤独でありませんように。

 今日も、私の心の中の線香花火はバチバチっと火花を散らし、あっけなくしぼんでいった。

2020年8月2日日曜日

前のブログ

 前のブログでは、うっかり「火花」の読書感想文を書いてしまい、それが検索上位に表示されてしまった。

 ネット上に何かを上げる以上、誰にも知られたくないというはありえない事。
 それは重々わかっていることだけど、又吉さんのファンだということを、誰かと分かち合いたいとか、ご本人に届けたいという気持ちはさらさらなくて、できるだけ、目立たないように、ひっそり、ブログを書いていたかった。

 だけど、前のブログは感想文が検索上位になったり、「又吉ファンブログ」で検索しても筆頭に出てくるようになってしまって、あわてて更新をやめた。

 もちろん、サイトをGoogle検索に表示されないようにする方法も知っている。

 検索上位に表示されたくないのなら、その方法で、誰からも知られないようにブログを書いたらいいのだけど・・・それも違う。

 全く誰も読まないのなら、ブログではなく、手元のノートに書けばいいのだ。

 ブログに書く以上は、どこかの、誰かには届けたい。


 誰に?

 誰に向けて、このブログ、書いているのでしょうか?

 私は他にもブログをいくつかやっているけど、コメント欄は付けていない。

 昔は、ネット上に書き込んで、コメントをもらったり、人のブログやツイートにコメントしたり、ということが楽しかったし、普通にできたけど、ある時期から怖くなって、一切の交流をやめた。

 なので、かれこれ10年以上コメントというものをもらわないまま、数種類のブログを書いている。

 いったい、どんな人が私のブログを読んでいるのか、わからない。

 あるブログなどは、収入を得るためにいろいろやっているので、日に多い時でアクセスが3000件くらいあるけど、コメントは受けていないので、どんな人が読んで、どんな感想を持たれているのかはわからないし、わかろうとも思わない。

 それが、ある種の身を守る手段でもあるので、今後もコメント欄をもうけることはないと思うけど、このブログをいったい誰に向けて発信しているのかということは、自分でもよくわからない。

 ただ、隠したくても隠しきれない、意図せずに漏れ出てしまう感じで、世に、又吉愛を、垂れ流したいたいという・・・・非常に勝手な気持ちで書いている。  

視線

又吉さんの出ているテレビ番組を見るのはもちろんのこと、紙媒体の記事を探したり、画像を検索したり、動画サイトで又吉さんの動画を見たりすることを、私の中だけで「又活」と読んでいる。

 おそらく・・・・、誰も使っていない、私の造語(笑)。

 試しに「又活」で検索してみたら、全く意味の違っている中国語のサイトとかしか出こないので、今のところ地球上で「又活」しているのは私だけかと(←ンなわけないし!)

 そんな又活をしていた今年初め頃、ある画像を見つけて、慌てて私の「又吉フォルダー」に保存した。「又吉フォルダー」は、ネット上で集めた「萌え又吉」の画像を保存するフォルダーだ。

 その画像は、これまでの又吉フォルダーの中でも出色の萌えっぷりで、拡大して壁に貼っときたいくらい私好みのものだった。髪型といい、ファッションといい、又吉さんの肌ツヤといい、なにもかもが・・・輝いていた。今年イチの「俺」が、早くも1月の時点で出ていた又吉さんを、眩しい、眩しすぎて画像ですら正視できない、と思った。

 その画像は、コロナで世の中が自粛ムードになる少し前に開催されたイベントを伝えるニュースの一コマだった。

 つい最近、動画サイトで、その時のイベントのトークショーが配信されているのを知って、「動画もあったのか!」と感動して早速見た。

 又吉さんが、語りながら司会者の女性にちらっと視線を送る時の顔が、目が、髪が、声が、眩しすぎて、一度目は話の内容もほとんど耳に入らないままボーーと動画を見た。

 気になって、もう一度見た時、
「それにしても、やけに何度も、司会者の方を見てるな」
 と思った。

 それから何か突然、上の方から降ってきたように、啓示を受けた。

 そうか、この日の又吉さんが素敵なのは、もしかして「最高の俺」を誰かに見せたかったのではないか。

 もしかして、この司会者の人?

 この人に向けて、髪も服も、めっちゃイケメンのファッションでやって来たのでは・・・と思い始めたら、もうそういう目でしか動画を見られなくなった。

 そしてそう思えば思うほど、チラ、チラ、と司会者に視線を送る又吉さんに、
「そうに違いない。司会者に気があるのでは。かなり意識しているのでは。あの人が好きなのか。そうなのか。その証拠にもう一人の男性には、視線をほとんど向けないじゃないか。」
 という邪推しか浮かんでこない自分がいた。

 ほら、もう一人の男性は1回しかチラ見しないのに、その間に司会者は10回くらいチラ見している。話し始めは30秒に一回くらいしかチラ見していないのに、話の途中からは5秒に1回くらい司会者の方をチラ見している。チラ見というか、視線を、送っている。俺、こんな感じで、語っていますけど、どうですか?という視線。

 それで勝手に、思いつめて、その司会者の女性のプロフィールを検索したら、私と同世代の女性だったので、
「まだまだこの年齢でもイケるってことね。又吉さんは若いギャル好きという噂があったけど、熟女もありと。」
 と、とんでもない我田引水っぷりで、自分の都合のいいように解釈している私がいた。

 いや、そこ?解釈変だから。曲解しすぎだから。と、自分で自分にツッコみつつ、IKKOさんみたいなテンションで「50代も脈アリよ~」て心のなかで叫んでいる私は、今日もおめでたい。

 

2020年8月1日土曜日

映画「劇場」を見て

 ずっと、「火花」も「劇場」も、「売れたかったけど、売れなかった人」にスポットを当てている作品だと思っていた。
 でもそれは、ほんの数ミリ何かが違えば、あそこにいるのは自分だったんだ、ていう作者の思いも重なっているという気がした。

 「冷血」を書いたトルーマン・カポーティは、凄惨な事件を起こした若者二人が、他人とは思えなかった。不幸な生い立ちの彼らを知れば知るほど、同じような境遇に育ったカポーティは、自分だって一歩間違えばあのような事件を起こしてたという気持ちから「冷血」を執筆したという。

 女優のウーピー・ゴールドバーグは、トーク番組で以前「自分が特別、才能があるとは思っていない。自分よりずっと才能がある役者を何人も見てきた。自分が売れて、有名になれたのは、運もあると思う」と語っていた。

 たしかに、私も芸人さんとかお笑い好きだけど、このコンビ面白いのになんで売れないのという人いるし、売れても消えていく人もいる。

 木から青い実が落ちるのを、偶然同時に目撃していたことがきっかけで出会ったという、通称「青い実の彼女」さん、どこまでが本当の話で、どこからが創作かわからないけど、「第2図書係」や「東京百景」や「劇場」の中で繰り返し語られるその人は、おそらく、「売れない芸人」が好きだったのかも。

 有名人や芸能人と付き合える人って、やっぱり、ハートが強いよね、と思う。
 「なんであんな女が、○○さんと!」とか、バッシングにもあうだろうし、自分自身が写真撮られたり、あれこれゴシップ記事に書かれたりするのが耐えられる強さがないと、有名人とはお付き合いできないよ。

 カトちゃんの嫁も、あれだけ叩かれまくって、よく耐えた。誹謗中傷を乗り越えて、今では逆に、素晴らしい嫁じゃないかと逆の評価になっている。

 最初は普通の人というか「売れない芸人」だった彼氏が、だんだん有名になって、顔や名前が広く知られるようになると、青い実の彼女さんも、ちょっと怖くなったのかな。

 売れたいけど、売れたくない・・・ていう、変な心理は、あると思う。

 林真理子の小説「トーキョー国盗り物語」には、本がベストセラーになって、突然マスコミの寵児ともてはやされたライターの女性が、世間に注目されてあれこれ言われることが嫌になって、仕事を投げ出して田舎に帰ってしまうというくだりがある。

 それらをふまえて、「火花」も「劇場」も「売れたかったけど、売れなかった人」にスポットを当てたというよりも、「本当は売れたくなかったのかな?俺」という作品かしら?と思うようになった。

 おそらく・・・売れない芸人のまま事務所も辞めて、普通の会社員とか、自営業者になっていたら、青い実の彼女さんも病むこともなく、去ることもなく、結婚していたかもしれない。

 タラレバなんて、どんだけ言ってもしょうがないことなんだけど。

 私達は、過去を振り返らずにはいられない。振り返って、後悔せずにはいられない。そんなことばかり、多すぎる。

 「つらい過去は忘れて前向きに!」て明るく言えたらいいけど、おそらく無理して前向きになるよりも、何度も後悔してうじうじしながら惰性で生きていくほうが性に合っているのだ。

 私も。

 だからなんども、過去をほじくり返して、タラレバを言ってしまう。

 本当に、これで良かったのかな、と思ってしまう。思わずには、生きていけない。

 だけど、残酷なことに、時間は巻き戻せない。どんなに後悔して、懺悔しても、たった数ミリのズレが、長い年月のうちに何メートルもの「差」を生じさせており、それは絶対に埋められない「溝」なんだ。

 わかっているけど、あのときもし、ああしていれば・・・と思ってしまう。

 四十にして惑わず、五十にして天命を知るなんて、超人の為せる技。

 四十、五十と年齢を重ねるほどに、惑いまくりで、人生って本当しんどいや。