2021年6月6日日曜日

結界

 まるで「縄のれん」みたいな感じで、文字の連なりが天井からいく筋も垂れ下がっているのですよ。

 高貴なお人が、御簾のむこうに鎮座ましますがごとくに、その文字の連なりでできた縄のれんの向こうに、又吉さんがいるんですよ。

 私は目を凝らして、その姿を見ようとするのだけど、文字の縄のれんが「蜜(みつ)」になっているものだから、なかなかそのお姿がはっきりと見えない。

 もどかしさを感じながらも、私は、縄のれんに近づく。

 だけど、そこには強い結界が張られていました。

 到底、その結界を切って向こう側に行くことは不可能でした。

「私達は、決して出会ってはいけない二人なのだ」
 私は何かを思い出し、自分にそう言い聞かせました。

 何がどうしたのか、はっきりとは思い出せないけれど、もうそれは輪廻転生を気が遠くなるくらい繰り返して刷り込まれた「掟(おきて)」のようなものなのでした。

 縄のれんの文字を拾い読みして、私は真意を読み解こうとしていましたが、なかなか容易なことではありません。難解な古代文字を解読するかのように、私は文字を追いました。

 その向こうに、あなたの姿が・・・。

 手を伸ばせば、届きそうなところ。

 でも決して、結界を超えてはならぬのだと、私は悟りました。

 出会うべくして出会った二人は、悟るべくして悟り、距離をこれ以上つめてはならない。

 私は涙をのんで、縄のれんから後ずさるのでした。

2021年6月5日土曜日

ほうせんか

 3日に1回くらいの割合で「又吉さん・・・」とかつぶやきながら、よよと泣き崩れてみる。

 私の中の妄想では、ロミオとジュリエットなみに、愛し合っているのに引き裂かれた二人・・・ということになっている(しつこいけど、妄想だから)。

 ああ、神様どうか、来世ではめぐり逢えますようにと祈りながら、現世でのめぐり逢いはおそらく無いのだろうと思う。

 そこで、ゆるいデジャヴュみたいな・・・・いや、どうしても「これはデジャヴュに違いない」と思いたい自分がいて、
「きっと、前世でも同じことを言いながら死んだに違いない」
 と思う。

 何かの、悲恋で、引き裂かれた二人。前世でも、現世でも、来世でも、引き裂かれたままの二人。

 心に鋭い棘が刺さったような痛みを感じながら、夕暮れ時に「ああ・・・」と崩れ落ちる時の恍惚よ。

 もはや我が身と、我が心を、その妄想で打擲することがやめられない私である。

 これは何か、昨日今日の話ではなく、根深いものであるはずだ。

 運命的に、何度生まれ変わっても、決して結ばれることのない罪を、背負わされた二人(という妄想)。

悲しいですね 人はこんなに
ひとりで残されても生きてます
悲しいですね お酒に酔って
名前呼び違えては叱られて


 中島みゆき『ほうせんか』

 どこまで行っても、いくつになっても、中学生の頃に聴いていた歌の世界から成長しない私。
 今も昔も変わりなく「ひとりで残されて」いる私。

後姿のあの人に
幸せになれなんて祈れない
いつかさすらいに耐えかねて
私をたずねて来てよ


 私をたずねて来る人なんていない。

 キンケイドとフランチェスカは、死んで灰にならないと再会できなのが悲しくもあり、清くもあり。